安倍内閣の元で官房長官という重要なポストを担っている菅義偉さん。柔らかい風貌で『やさしいおじいちゃん』的な存在感があります。
しかし菅義偉さんの生い立ちは、現在の見た目からは想像できない程の“ハングリー精神”の持ち主!
実家も農家で、他の世襲制議員さんとは全く異質な経歴のようです。
菅義偉の実家はいちご農家!
菅義偉は秋田県雄勝郡(現在は湯沢市)の出身で、実家は農家をしていました。
日本の政治家は世襲政治家が多いですが、官房長官程の重要ポストに就ける菅義偉さんが一般の家庭の出身ということに驚きます。
菅義偉さんお父親は、戦時中は南満州鉄道の職員で、その頃の生活は“お手伝いさんがいる優遇された生活”をしていたようです。
戦争が終わり、日本に引き揚げた菅義偉の父親は農業に従事します。秋田県と言えば米どころ。お米を作っている農家が多かったのだと思います。
しかし菅義偉の父親は『これからはコメだけでは食っていけない』といちご栽培を始めるのです。今で言うベンチャーですね。野心家なお父さんだったようです。
この先見の明が当たり、菅義偉さんお父親は「秋の宮いちご」のブランド化に成功して、秋の宮いちご生産出荷組合組合長や、湯沢市いちご生産集出荷組合組合長などを歴任するほどの人物になりました。
後に、長男である菅義偉さんに農業大学の進学を進めた父親。
農業に掛ける思いはとても強かったと思われます。
菅義偉の実家は農家!生い立ちや紆余曲折な経歴を調査!
いちご農家の長男として生まれ、兄弟や親戚が教師という家柄で育った菅義偉さん。そんな菅義偉さんがどうして政治家になったのでしょう。
日本の政治家は、安倍晋三さんや小泉進次郎さんのように代々政治家・・・という世襲議員が本当に多いです。
そんな中、農家出身から政治家まで上り詰めるた菅義偉さん。世襲議員とは一線を画した人生だったと想像できます。
家出同然で秋田から上京
秋田の実家でいちご農家をしていた父親の元に生まれた菅義偉さんの兄弟は4人です。
- 姉二人 高校教師
- 弟 調査中
菅義偉さんの姉二人が教師。そして母親や叔父叔母も教師だったようで、やはり優秀な家系であるようです。
当然に長男である菅義偉さんにも期待がかかります。
姉が教師なら、長男の菅義偉も教師に!
父が大農家なら、長男の菅義偉も農家の後継ぎに!
きっと田舎で期待される長男さんなら、こんな進路を期待されそうですね。
実際に父親からは、“農業大学”への進学を進められたそうです。
しかし若き頃の菅義偉少年はこんな周囲の大きな期待に応える人生を選びませんでした。
東京に行けば何かいいことがあるんじゃないかないか⁈
こんな思いで、家出同然で上京したのです。
今の物腰柔らかい『やさいいおじいちゃん』が、こんなに情熱的で無鉄砲な少年だったなんて!!
そして18歳の菅義偉さんは、秋田県から集団就職列車に乗って上京しました。
アルバイトをしながら受験勉強
漠然とした夢を追って、家で同然で秋田から上京した菅義偉さん。現実は甘くありませんでした。
上京してすぐ段ボール工場に就職し生活の基盤を作ろうとしますが、思い描いた夢とのギャップにたった2か月でやめてしまいます。
大学に行かなければ!
『大学に行かなければ何も変わらない』と思い立った菅義偉さんは、アルバイトをしながら受験勉強を始めます。
ただ、東京で自分の好きなことをやろうっていう程度でした。そこで初めて、現実がいかに厳しいかに気がついたわけです。私が一番思い出したくない青春です。そうして、やっぱりどこかの大学に入らなきゃまずいなと思いはじめたのです。
それからの菅義偉さんの生活は一転します。
- 早朝から築地市場で台車運び
- 夜は新宿の飲食店で皿洗い
- その合間に受験勉強
こんな過酷な日々を過ごし、2年後に無事に法政大学に合格します。
法政大学の入学を決めたのは、授業料が一番安かったから!
秋田の大農家で育った菅義偉さんは、実家の力を借りず自分が稼いだお金で大学入学し、入学後もアルバイトの掛け持ちで学費と生活費を稼いだのです。
大学時代にはアルバイトをしながら、剛柔流空手動部に入り三段を取得しました。
下級生の頃は空手部の上級生の厳しさに疑問を持つこともあったようですが、その厳しさを後になって必要なことであったと振り返っています。
空手からは礼節や先輩、後輩の序列を学びました。そして我慢することを覚えた。練習はすごく厳しかったが、どんなにきついことも時間が来れば終わるということを知りました。アルバイトばかりの大学生活でしたが、人生修業はやった気がします
この空手部時代に上下関係の折衝力、どんなときにも平常心を保つ力を養ったのかもしれません。
日本を変えたい!政治家をめざした経緯
法政大学卒業後に菅義偉さんは、建電設備株式会社(現:株式会社ケーネス)に就職します。
就職を決めた理由として
- ゆくゆくは秋田の実家に戻り父親の跡を撮らなくてはいけないだろう
- でも自分の人生は自分の思うようにいきたい
- 大学の同期は皆就職をしている
- まだ自分のやりたいことが見つかっていない
- ひとまず、東京で就職しよう
『自分がやりたいことは何か』と自分に問いかけながら、東京に残るために就職をしたのではないでしょうか。
その就職期間にいろいろな経験をする中で
この世の中は政治が動かしているのではないか。面白そうだ。日本を変えたい。
ひらめいた菅義偉さんは、大学の学生課やOBを訪ね、
『法政大学出身の政治家を紹介してください』
と依頼し、衆院議員・小此木彦三郎さんを紹介されることになります。
この小此木彦三郎さんの横浜の事務所で、11年の間秘書として政治の勉強と経験をすることになります。
そして1984年に小此木彦三郎さんが通産大臣に就任した際には、菅義偉さんは大臣秘書官に抜擢されます。
安倍内閣では官房長官としてしっかり安倍総理の女房役をこなした菅義偉さん。秘書としてのこの時代の経験がしっかりと人生に生かされているように感じます。
37歳で横浜市会議員選挙に出馬し初当選
11年間、秘書として政治の勉強を間近で学んだ菅義偉さん。37歳の時に横浜市会議員選挙に出馬します。
度々言いますが、菅義偉さんは政治家の身内はいません。後ろ盾もない、秋田出身の菅義偉さんの横浜市会議員出馬は大変厳しいものでした。
公認も得られず、後援会長になってくれる人もいないと言う孤独な戦いでした。
- 一日中歩き回り、1日300軒回る。
- 選挙までに3万軒を回る
- 選挙期間に靴を6足履きつぶす
努力の甲斐があって、初出馬初当選を果てしました。
その後2年の横浜市議会議員を務めることになります。議員時代は市長から人事の相談を受けるなどの人望があり、『影の横浜市長』と呼ばれていたそうです。
菅義偉さんは、常に冷静に出しゃばることなく、自力で今の地位を積み重ねて人生だったことが分かります。
しかし冷静な外見の内側には、『日本を変えたい。なにか面白い事がしたい』という少年の時の気持ちを持ち続けているのでしょう。
菅義偉の実家は農家!生い立ちや紆余曲折な経歴を調査!のまとめ
菅義偉さんの生い立ちと、政治家を目指した経緯を調べてみました。
菅義偉さんは秋田の農家に生まれながら『自分の人生は自分で決める』という熱意で上京し、紆余曲折の人生の後に政治家を目指したことが分かります。
安倍内閣で、静かに淡々と職務についていたやさしいおじいちゃんである菅義偉さん。こんな情熱的な男性だったことに驚きです。
そして世襲議員が横行する日本の政界において、菅義偉さんのような方にスポットが当たる事で、現在の子供たちや若者の人生にも大きく影響を与えると思います。