プロフィール

はじめまして、まゆみです。

私のホームページにご訪問頂き、ありがとうございます。

現在はフリーランスのインテリアコーディネーターをしています。

家族は、中学2年生の息子と20歳の娘。

あと・・・完全自由人の夫が一人。(育児には不参加)

私自身は、仕事と家庭の両立を目指すバリバリのキャリアウーマン!

と言いたいところですが・・・

毎日充電切れで、化粧も落とさずソファで寝てしまうダメダメ母!

こんな私の今日までの経歴をお話しさせて頂きます。

おばあちゃん子な幼少期

私は田舎の長女として生まれました。

実家は昔ながらの日本家屋。

入母屋・大黒柱・お蔵・すべて畳の間・障子・大きな仏壇・・・・

家族構成も祖父母に加え、明治生まれの厳しい層祖母(ひいばあちゃん)もいる

大家族の跡取り娘として育ちました。

名士とまではいきませんが、その土地に住む親戚中の本家でしたので

厳格に育てられ、適齢期の頃には養子婿さんとの縁談話が数多くありました。

厳しい父と反りが合わなかった事もあり、結局跡取れていない現状ですが。

そんな父とは正反対の父の母・・・優しい優しい私のおばあちゃんに

めちゃめちゃかわいがられ、甘えん坊で育ちました。

そしてすぐに手が出る厳格すぎる父親から何度も守ってもらいました。

キングオブ“おばあちゃんっ子” です!

小さいころから新聞に入っている、不動産の広告が大好き。

団地に住んでる友達や、分譲住宅に引っ越してくる転校生の

近代的な家が羨ましくて羨ましくて。

だから、広告・チラシを見ながら間取り図を描いたり

自分の部屋の家具の配置をころころ変更したり。

そんな私に一番の理解者であるおばあちゃんは

畳の部屋を、フローリングの洋間にリフォームし

素敵なカーペット、カーテン、家具を揃えてくれました。

インテリアコーディネーターのルーツは

間違いなくこの頃の“温かい記憶”からだと思います。

暗黒の高校時代

中学校の頃は、少しお勉強できたんです。(笑)

成績も学年上位で活発で・・・

高校は、地域で1番の進学校に入学しました。

しかしこれが不幸の始まり。

優等生だと思っていた自分より

何倍も何倍も優秀な人間が

何人も何人も存在するんです。

“有名大学へ生徒を入学させる!”

という校風に、先生の情熱も半端なく

休み時間は次授業の小テスト勉強。電車の中も単語帳。

テストテストテスト・・・

男子も女子もライバル。男女交際どころか、おしゃべりすらできない空気。

こんな毎日に疲れ果て、気持ちが病んでいきました。

勉強するわけでもなく、友達と話すわけでもなく。

今思い出してもほとんど記憶がありません。

その頃、唯一私を奮い立たせたのはダイエット!

ある日、頭のいい隣の席の男子に

“なんか存在感ないよね・・・”と言われた衝撃で、

勉強じゃなくダイエットに向かってしまったんです。

毎日、サウナスーツを着てジョギング。

小さいお弁当箱には、底が見えるくらい薄く延ばしたご飯とおかず。

そんな少量の食べ物ですら、食べてしまった後悔で無理やり吐く。

68キロあった体重は、3か月で32キロ落ち生理も止まりました。

制服のスカートは、もう一人が入るくらいぶかぶか。

完全に病んでました。

最近ではパニック障害という言葉がありますが

当時はそんな言葉もなく・・・・

出口がない箱の中で、もがき苦しんでいました。

当然、学校が望むような有名大学には入学できず

家から通学県内のお嬢さん大学に入学することになりました。

東大・早稲田・慶応を数多く輩出した同級生たちの中では

最下位のFランク大学です。

はじけた女子大生時代

そんな暗黒時代を抜け出し、Fランクの女子大に進学したのですが

時代はバブル期!!

高校時代の暗い記憶を払拭するかのように、はじけた時代を過ごしました。

病んだ高校時代に32キロもやせたおかげで

荻野目ちゃんが着るようなボディコンのワンピースを颯爽と着こなし

ルイヴィトンのカバンにシャネルの口紅を突っ込んで、大学に通っていました。

講義中はもっぱら、友達と化粧品やブランド品の意見交換。

女子大生・マハラジャ・ボディコン・ブランド品・高級マンション・不動産

そして“インテリアコーディネーター”という言葉

初めて目にした瞬間

私これやりたい!!と強く感じました。

しかし、流されるように目的もなく進学した女子大。しかも英文科。

もっと早く気が付いていれば、建築学科とかデザイン学科とか専門的な勉強が出来たのに。

今更、全く畑違いの業種にシフトチェンジするのは無理かもね。

そんなあきらめモードな自分でもありました。

大学4年生になり、周囲の友達は就職活動を始めます。

大学で英語の教育課程(教職)を取っていた私は

「このまま英語の教師になるんだろうな。資格試験落ちたら講師でもいいか。」

と思うようになりました。

教育実習中には中学生に交じり、話をしたり授業実習をしたり。

バブルのおかげ?で、高校時代には想像もつかない程、人懐っこい性格に変身した私は、

生徒からも信頼され、それはそれでとても充実した時間で、

「教師は向いているかも」と思った自分がいました。

しかし、どうしても引っ掛かる重大な事が

それは職員室の雰囲気!!本当に独特です。

私たちが知る教師の顔。職員室では別の顔。保護者の前では又又別の顔。

そのギャップに、私には無理かなと思ってしまいました。

決して教師という仕事を否定しているわけではありません。

・生徒の前では毅然とした態度であるべき先生

・職員室では上司と部下である先生同士の関係

・人生の先輩である保護者の前で、生徒の人生を担うという重責

本当に大変なお仕事です。

ただ私はこれほどギャップのあるお仕事には就けないと直感しました。

あともう一つ・・・

父親に就職先は“先生か銀行員”と言われていたこと。

田舎の女の子の、成功者である職業です。

田舎の親たちが、娘に一番なって欲しい職業です。

なんか違うでしょ。そう、違うんです。

だから、私は道を切り開くことにしました。

全く畑違いの建築業界への道へ!

私はハウジングメーカーの営業事務として就職する事を決めました。

下積みからの専門職。ハウジングメーカー時代。